初めまして。
私はmillionchallengerと申します。
まえがき
この度ブログを新たに作成し、全く別のジャンルの記事テーマで
ブログを開設しましたのでお知らせ致します。
このブログ、名を『mythology's blog』と言いまして、直訳すると『神話』
というタイトルになります。
この『神話』というタイトルは、私が大好きな日本の「古事記」を題材にしたテーマ
となっています。
日本がどのように出来たのかを教えてくれる古事記を知らない方にも伝えたいという
思いから、ブログの作成を思いついたのが始まりです。
今日はそんな古事記の導入部分に触れ、日本の歴史に皆様を連れていきたいと
思っております。どうか、慈愛の精神でこの記事を読んでくださいませ。
古事記について
西暦712年に書かれた日本で最初の歴史書となります。
上巻、中巻、下巻の三部構成で、上巻は天地創造と神様のお話。
中巻と下巻では初代天皇の「神武天皇」から33代天皇の「推古天皇」までの
功績を書いています。
序文に記されている成立過程によると、古事記の始まりは「天武天皇」の意志による
ものだったとされています。
そしてこの天武天皇からおよそ30年後に完成したとされています。
そう。一人の人間によって作られたものでは無く、何人もの手によって記された
日本最古の歴史書だったのです。
では、天武天皇はなぜこの歴史書を作りたかったのでしょうか?
日本書紀の出現
古事記と同時期に、もう一つの歴史書が存在していました。
それは、「日本書紀」です。この書記は、中国の歴史書を参考に「日本でも
ちゃんとした歴史書が必要だ。」という動きの中で作られたものです。
そのため、中国でも読めるよう「漢文体」で「時系列」に沿って書かれているのが
特徴でした。つまり、広いジャンルの人びとに見てもらえるような、見やすく分かりやすい歴史書だった事が分かります。
その証拠に、この日本書紀を宮中政府官人の皆で読んで勉強していたと
記録されているそうです。
古事記の書かれ方
一方で古事記の書かれ方というと、日本の古語を記すために国内向けの崩れた漢文体
で書かれていたそうです。
内容は日本書紀のような歴史についての文章なのですが、登場する神様が
かなり個性的に描かれているそうです。
そしてその神様一つ一つのエピソードが、人々の興味関心を煽るようにドラマチックに
描かれていたんだそうです。
私が受けた印象は、日本書紀→教科書 古事記→漫画
みたいな感覚でした。私が興味を持って調べていた際のネットの記事でも、
やはり皇后の娯楽のような解釈をされている方も少なくありませんでした。
その反面、天皇の主体性を誇示したい時代でしたから、そういった風潮(イズム)
を作るための物と紹介する方も多いのも事実です。
結果的に古事記とは?
未だに謎が解明されていない、人々の間で別々の解釈を有する歴史書のようです。
原本は無く、最古に写された写本が「真福寺(現:愛知県名古屋市)」に残っている
そうです。
そして、内容といえば正統の歴史書ではなく、そこから外れた悲劇の主人公が
度々登場してきます。反国家的に受け取れる物語や、御子同士の争いなど、単なる歴史書としてではなく、山あり谷ありの波乱万丈を描いたようなストーリーとなっています。
完成した時代には、日本書紀の存在が出始めてから古事記はどんどん日陰に
押され、やがて誰からも見られなくなってしまったそうです。
しかし時代は移り、現代社会ではむしろ綺麗ごとよりもドラマチックを
求める人が増えてきたため、密かに日本書紀ブームの到来となっている
事と思えます。
今では日本の歴史を語るうえでは離せない『古事記』となったとさ。
めでたしめでたし。
あとがき
いかがでしたでしょうか?
日本最古の初期『古事記』の紹介でした。
今後の記事では、古事記に登場する神様のエピソードを書いていきますので、
興味のある方は是非とも見に来てください。
ありがとうございました。
古事記について非常に参考になるページは